『GOETHE(ゲーテ) 』5月号にもアベの影!

私は、安倍政権を批判している記事しか読まない。
図書館に行き、まずは週刊誌で森友学園問題の記事を、全部読む。
週刊新潮の「アキエと大麻」問題、週刊文春のアベ秘書と「東芝原発」問題、週刊朝日の「籠池ノート」問題、週刊現代の「176億円」疑惑、サンデー毎日の「逃げ切りを許すな!」問題、AERA青木理対談。
それらの記事を全部2度ずつ読んで、頭に叩き込む。
目を閉じても文章が脳内に浮かんでくるくらい反芻し、アベ記事を記憶する。
記憶するためには、ただ文字を見たり読んだりしているだけでは、ダメだ。
目を閉じても文章が浮かんでくるくらい反芻し、脳みその皺に刻み付けるのが、ベターだ。
よし! 今日はこれくらいで勘弁しといたろ!と私は週刊誌を棚に戻して、雑誌コーナーから離れようとした瞬間、『GOETHE(ゲーテ)』5月号が目につく。
ゲーテ』5月号は、相葉雅紀が表紙であり、『「男前」になりたい。』なる文字が躍る。
まさか、と私は思った。
まさかそんな事はないだろう、と自分の直感を訝った。
いや、でも、まさか、と私は嫌な予感で震えつつ、『ゲーテ』を手に取った。
そしたら・・・
なんたる悲劇・・・
ページをめくると・・・
私の嫌な予感は、的中してしまった・・・
ゲーテ』5月号には、『読者が本気で選んだ 男たちが認める「男前」48人』という特集ページがあり、そこにアベの名前とドス黒顔が、あったのだ・・・
しかもア行だから最も目のつきやすい箇所に、明石家さんま阿部寛の間に、どういうわけか安倍晋三という人物が潜んでいたのである。
「男たちが認める「男前」48人」にも、こっそり忍びこむアベの影・・・
この48人のうち、アベの他に政治家はいるかと探れば、田中角栄の名前があった。
なるほど、5億円のロッキード事件田中角栄となら、差額8億円疑惑のアッ××ド事件の安倍とは、釣り合いがとれている。
とはいえ現役の政治家では、たった1人、アベだけが選ばれるのは、著しい偏向姿勢・迎合体質・忖度記事であろう。
括弧つきの「男前」でいいのなら、森友問題を追及する社民党福島瑞穂こそ選ばれるべき「男前」だと思われるのだが、よりによって森友問題の責任をとらないアベが、「読者が本気で選んだ 男たちが認める「男前」48人」に入るとは、悪い「本気」だろう。
これほど「本気」でアベを選ぶ『ゲーテ』とは、いったいどこの出版社なのかと調べてみると・・・
そしたら・・・
なんたる悲劇・・・
裏表紙をみると・・・
私の嫌な予感は、的中してしまった・・・
ゲーテ』の出版社は、幻冬舎だったのだ・・・
幻冬舎は、アベが表紙のアベ礼賛本を何冊も出す、札付きのアベ友出版社であることは、広く知られている。
官邸のメディア支配は、恐ろしいほど細部にまで進んでいる、といってよい。
アベは細部に宿るごとく・・・

安倍政権がもくろむ 「軍人勅論」「戦陣訓」の大衆洗脳

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/203071

この教育勅語が塚本幼稚園の騒動で批判にさらされたというのに、政府は現代に復権させようとしている。となれば心配なのが今後の動きだ。戦前の日本には「人勅」や「」があった。
前者は1882年に成立。軍を統帥する天皇が、日本に生まれた者は軍人に限らずに報いるを持てと教えている。後者は1941年に東条英機が示達した。「生きて囚のを受けず」の一文が日本兵や民間人の自殺を誘発したことは有名だ。

ありうる。
大いに、ありうる。
教育勅語が突破されてしまったら、次は軍人勅諭がやってくる、と警戒せねばなるまい。
まさか、と油断していたら、いつの間にか教育勅語みたいな暗黒文書が教材化されてしまうアベ日本。
アベなら、やりかねない。
なんてったって復興大臣イマムラが、自主避難者を「自己責任」と切り捨てるアベ政権だ。
原発推進政策を心から反省していたら、よほどの人でなしでなければ、とてもじゃないが「自己責任」などと開き直れるはずはないだろうが、しかし、人間としての危険区域を軽やかに越えてゆくアベ政権。
かつてアベのお祖父さんが自分の作品だと豪語した満洲国では、敗戦後、真っ先に軍人とその家族は逃げて、民間人を置き去りしてきた歴史が、アベ一派の大好きな帝国日本にある。
しかもアベが理解できていない慰安婦問題には、慰安婦とされた女性を戦地に連れまわしたあげく、敗戦後、現地に置き去りしてきた悲劇があるにもかかわらず、まったく悪びれもしないのが、アベ周辺にいるお仲間である。
弱者を切り捨て、人間を置き去りにしてきた「自己責任」論は、かつてのコイズミ政権の新自由主義的な政策に端を発しているように思われているが、実はそうではない。
むしろ「生きて虜囚の辱を受けず」などと首相が説教を垂れた日本の悪しき伝統が、今、イマムラ会見で噴き出た「自己責任」論に接続されることによって、戦陣訓が形を変えて復活してきている、と私は思う。
まだ軍人勅諭や戦陣訓が公的な場で復権はしていないけれども、アベ政権下によってソフトな形で「自己責任」論として現代的な姿で復活したあげく、平気で国民を虐げる戦前の国家主義的メンタリティを現在まで引き継ぐことで、いつか本当に、軍人勅諭等を公的に教材化・朗読化させたいのだろう。
だから大臣イマムラの「自己責任」論は、単なる感情的な暴言でも、記者の勇気ある質問に逆上したものでもなく、確信犯的な発言である。
教育勅語の先にある、軍人勅諭等を公的に正当化するための、その下地を捏ね繰り回している最中なのだ。
だから平和を逆走するアベ政権の暴走を、食い止めねばなるまい。