<野中広務さん死去>孤独な闘士、最後まで貫く

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180126-00000120-mai-pol

権勢は長くなかった。病に倒れた小渕氏の後継に森喜朗政権への禅譲を謀議した「密室の5人組」と指弾され、自民党幹事長に栄進しても影を引きずった。
下り坂への転機となった「加藤の乱」で加藤紘一元幹事長が自滅へ突き進んだのは、野中氏の影響下で首相になりたくない反抗期にも似た衝動があった。確かに野中氏は往年の「金丸・竹下・小沢」(略称・コンチクショウ)のようなキングメーカーを狙っていた。野中氏もまた権力のおごりを免れなかったのだ。
国旗・国歌法に野中政治の予見性を見る気がする。今日の政界総保守化を先取りしていた。自由投票だった旧民主党は、衆院本会議採決で賛否真っ二つに割れたトラウマを引きずり昨年、民進党分裂に至った。
野中氏が成立にこだわったのは、公明党政権入りを巡る小沢氏との主導権争いと、法案に慎重な同党に権力を担う覚悟を固めさせるためだった。公明党の政権参画が平成政治史の過半に及ぶ礎は野中氏が築き、端緒は国旗・国歌法だった。

野中は評価できない。
いくら引退後に穏健な保守よろしく、憲法反戦、差別、強制連行、沖縄について真っ当なことを述べていたとしても、野中は評価できない。
その人が権力を持った当時、どういう振る舞いに及んだかを見るにつけ、森内閣のときの強権独裁体質があまりにも露骨だった。
野中を今の政治家でたとえると、独善体質の官房長官スガや、権力を持った途端、外相専用機を欲しがる河野のバカ息子と似たようなものだろう。
野中は、加藤の乱を潰し、自民党内のリベラルを干上がらせたのち、コイズミ政権誕生の土壌を作った罪が、あまりにも大きい。
しかも野中は小沢を騙し、小沢を踏み台にして、公明党と連立を組んだから、なおさらタチが悪い。
いまの公明党は、20年も与党側にいれば公明党の若い議員ほど人相が悪くなっており、野中は公明党を堕落させた張本人といってよい。
いくら引退後に野中が、それなりに真っ当な主張を口では述べていたとしても、権勢の絶頂期にあった時の行動をみれば、とても評価できない。
野中でいちばん許せないのは、百田の小説を読んで泣いた、と公言しており、野中独特の人情や複雑な個性を考慮しても、理解しがたい人物だ。
野中が評価されるのであれば、あのコイズミですら死んだら脱原発をめぐる言動によって、評価する向きが出てきかねず、危険だ。