【三浦瑠麗Lullyのホンネ】森友学園問題は野党の戦略負け 追及すべき本筋から逸脱

http://www.hochi.co.jp/topics/serial/CO021131/20170401-OHT1T50324.html

森友学園をめぐるスキャンダルの追及と官僚答弁を繰り返している間に、本質的な議論もなく来年度の予算が成立しました。事実がはっきり見えないので注意が必要ですが、ある意味、日本政治の縮図的な問題であり、整理してみる価値はあるかもしれません。
森友学園問題の本質は、国有地が市価からは考えられない安値で払い下げられた点です。この払い下げをめぐって、収賄やあっせん利得にあたる事実があったとすれば、それは犯罪です。この点がない限り、中途半端な追及しかできないのです。
行政実務に多少明るい人であれば、本件の推移に「忖度(そんたく)」や「口利き」があったことは自明です。ちなみに、政治家の秘書から役所に問い合わせをするというのは立派な口利きです。そうでなければ、一民間事業者が財務省の幹部に会うことなどできませんから。
安倍総理が強気の答弁姿勢を崩さず、稲田大臣が失敗をやらかしてしまったので、政治ショーとしての価値が高まってしまったというのもあるでしょう。本来は、100万円の寄付をめぐる問題や、言った・言わないの議論は賑(にぎ)やかしでしかありません。この辺りは、追及すべき本筋から逸脱してしまった野党の戦略負けです。
本件の具体性を離れて日本政治全般の話をすると自民党の権力基盤とは何かという点に行きつきます。私は、それを「統治利権」と「経済利権」と呼んでいるのですが、わかりやすく言えば、官僚機構と地場企業ということです。官僚が地場企業と特別の関係を結んで権力と金を差配する。そのプロセスに「口利き」を通じて政治がかむ。権力の判断によって経済活動が影響を受ける。これが日本政治そのものであるという事実
ただし、本件にも多少の政治的な副産物はあった気がします。一つは、つい最近までずいぶん持ち上げられていた右派イデオローグの基盤は脆弱(ぜいじゃく)で、実は思想的にも底が浅かったということ。もう一つは、安倍総理の後継レースの様相が塗り替わったように見えること。これらは、中長期的な日本政治にとって意味のある変化だったかもしれません。(国際政治学

0点。
まったく分かっていない。
あまりにもバカげた作文だ。
三浦瑠麗は、問題を矮小化しすぎている。
この世には、収賄などが問われる法的責任だけがあるのではない。
政治的責任や道義的責任や行政責任や結果責任や社会的責任や職業倫理的責任や説明責任、そして保守派の大好きな自己責任などがある。
森友問題を、法的責任のなかでも刑事責任にだけ矮小化したあげく、「この点がない限り、中途半端な追及しかできない」などと論じるのは、あまりにも視野が狭すぎるし、即急だ。
こんな視野の狭い領域で森友問題を論じるのが、よりによって世界的な視野が必要であろう「国際」政治学者なのだから、お粗末すぎる。
三浦は、「「忖度」や「口利き」があったことは自明」と認識しており、「市価からは考えられない安値で払い下げられた」ことも理解できているようだが、その計り知れない深刻さを捉えきれていない。
結果として「市価からは考えられない安値で払い下げられた」以上、その責任が問われるべきなのに、ほんの序の口の「忖度」「口利き」の段階でとどまっていては、森友疑獄のスケールのでかさを捉えることなど出来ないだろうし、問題の「本質」とやらをカスリもしない。
しかも三浦はお得意のリアリズムを振りかざして、「口利き」を「日本政治そのものであるという事実」などと捉えているようだが、そんな恥ずかしい「日本政治」を「事実」として開き直られたら、国民は堪ったものではない。
一般論として「口利き」が存在するのは理解できるが、しかし、個別具体的に見た時に、国有地が異常なスピードと驚きのプライスで払い下げられた以上、これがよくある「日本政治そのもの」などとシレッと押し切られたら、こんなものは日本国憲法が規定する財政民主主義の精神に反している。
事実からも結果からも政治責任からも目をそむけて、どうしても「野党の戦略負け」と言いたいらしい三浦によれば、「右派イデオローグの基盤は脆弱で、実は思想的にも底が浅かった」と締めくくっているが、これは三浦流の自虐ネタか。