「戦争責任のこと」昭和天皇、晩年の苦悩

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180823-00050065-yom-soci

 1987年(昭和62年)4月、85歳だった昭和天皇先の大戦戦争責任に言及されることに苦悩していたとの記述が元侍従の小林忍氏の日記に残されていたことがわかった。昭和天皇の発言として「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛(つら)いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と記されている。
 日記は小林氏の遺族が23日に公開した。87年4月7日の欄に「昨夕のこと」として、戦争責任を巡る発言が書かれている。高齢となった昭和天皇の負担軽減が検討される中で、当直の侍従だった小林氏に語ったとされる。「兄弟など近親者の不幸」とは、2か月前の同年2月に弟の高松宮が亡くなったことなどを指すとみられる。
 昭和天皇の気弱な発言に対し、小林氏は「戦争責任はごく一部の者がいうだけで国民の大多数はそうではない。戦後の復興から今日の発展をみれば、もう過去の歴史の一こまにすぎない。お気になさることはない」と励ましたと書かれている。
 この時のやりとりについては、すでに公表されている卜部(うらべ)亮吾・元侍従の日記でも、4月7日の欄に「長生きするとろくなことはないとか 小林侍従がおとりなしした」と、同じ趣旨の記述がある。

本来であれば敗戦時に処刑されるべきであった男が、晩年になっても反省せず、「戦争責任のことをいわれる」などと被害者ぶって泣き言を吐いていたのかと思うと、腹立たしい話だ。
テンノーのせいで300万人が死に、アジアで2000万人も虐殺し、命を全うできなかった犠牲者を大量に作り出した最悪の責任者が、老年期まで生き延びたあげく、「細く長く生きても仕方がない」などと漏らすのは、悪い冗談だろう。
責任者のくせに責任をとらず、権力者のくせに被害者ぶり、あげく側近の人間に「戦争責任はごく一部の者がいうだけで国民の大多数はそうではない」などと忖度させる構造は、安倍とそっくりだ。