山尾志桜里議員「自衛権に歯止めかける改憲を」

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/071000146/112100013/

私の考える憲法議論は、立憲主義を貫徹し、その価値を強化する「立憲的改憲」です。9条に関連して大切なのは、憲法に「自衛隊」の3文字を明記することではなく、国民意思で「自衛」に歯止めをかけることです。私は、2014年7月の閣議決定までの「武力行使の三要件」、いわゆる武力行使の旧3要件に基づいて、自衛権の範囲を個別的自衛権に制限することを、憲法上明記すべきだと考えます。

これじゃ山尾は、第二の前原だ。
野党なのにアベを手助けするだけだ。
前原は、選挙前に民進党をブチ壊して、結果的にアベを手助けした。
山尾は、改憲議論をリードするつもりでも、結局はアベ改憲を手助けするだけではないだろうか。
というのも、個別的自衛権憲法上明記する必要など、どこにもないからだ。
アベより以前は、個別的自衛権に制限されると解釈していたのに、アベという奴がブチ壊して拡大した。
これを元に戻す場合、改憲は必要ない。
憲法を変えるのではなく、政権を変えるべきであって、アベを倒すしかないのである。

テーマ設定です。憲法の要諦は「権力の分立・均衡」により「人権を保障」すること。この観点から政府が持つ権力を国民意思によりコントロールできているかが改憲を議論する時の大きなテーマであるべきです。現行憲法は、安倍政権下の現状において、このコントロールの役割を十分に果たしているでしょうか。権力を縛り、人権を保障しきれているか。

現行憲法のせいにしてはいけない。
アベ政権下において、権力を縛るコントロールができていないのは、憲法が原因ではない。
法的規範を理解できないほど、アベがバカすぎるのが原因だ。
アベの脳みそに問題があること、野党が本気で闘っていないこと、国民がアベに騙されていることなどの複合的な要因があって、コントロールできていないだけだ。
しかもアベは、憲法でコントロールできてないどころか、アベ自身の過去の発言にも縛られず、嘘ばっかりついて前言を反古にする最低な奴だ。
おのれの過去の言動にすら背くアベが、まして現行憲法改憲憲法に、縛られるはずないじゃないか。
アベは、森友問題でアキエが関わっていたら辞任すると言ったのに、いまだに辞めない。
アベは、カケから奢ってもらったと白状しているのに、この国の検察はアベを野に放ったまま。
憲法で権力を縛りたくても、憲法を理解できていないし、過去の発言すらも忘れている奴が首相なのだから、「立憲的改憲論」という高尚な議論をしている場合ではない。
憲法を変えるのではなく、政権を変えるべきであって、アベを倒すしかないのである。

やはり、安倍政権が安全保障法制を成立させたことです。日本は自衛権を、憲法明文化されていない様々な解釈・不文律・規範を通じて統制してきました。私たちは、そのスキを安倍政権に突かれてしまったのです。
例えば、我が国は戦後70年間を通じて、専守防衛に徹し、集団的自衛権は行使できない、という憲法9条の解釈を国家も国民も共有していました。安倍首相はこれを「集団的自衛権は行使できない」とは書かれていないとして突き崩してしまいました。
内閣法制局の人事に首相は関与しないという不文律もこうした統制の一つです。しかし安倍首相は法制局の人事に手を突っ込んだ*。そして、歴代法制局の解釈を180度転換することで、違憲の安保法制を成立させる土台を作りました。

アベは、書かれていない不文律を、守っていないだけではない。
アベは、書いてあることすら、守っていないのだ。
書かれていないことを明文化したって、アベが守るはずないじゃないか。
この世には、書かれていないことが、山ほどある。
条文数が少ない日本国憲法は、書いてあることが少ない方だ。
だからといって、書かれていないことを全部書き込んでいったら、膨大な数になる。
この場合、書かれていないことを書く道を、選ぶべきではない。
書かれていないことを守らない不届きなアベを、追い出すしかないのだ。
改憲議論をリードすると称してアベ改憲を手助けし、その後の国民投票で反対する口実を失うのは、得策ではあるまい。
どうせ国民投票で、アベ改憲は惨めな結末を迎えるであろう・・・