月曜・・・

食器・・・

たかが食器・・・

なのに、なぜ飯茶碗が輝いて見えるのか・・・

飯茶碗を横から見ると、腰をどっしりおろし、やや汁椀に見えるほど腰に余裕があるのだが、腰から口縁にかけてはまっすぐ上を向く、その姿がいい・・・

しかし口縁のところが玉縁になって、神経が行き届いているのが、驚いた・・

この縁のところがだらしなくなっておらず、小さな玉縁となって意識的に作られているのを見て、私は感動した・・・

こんなに小さな4寸茶碗なのに、小さいわりには存在感があるし、縁のつくりがしっかりしていて、頼もしくさえある・・・

なんという飯茶碗なのだろう・・・

腰にハリがあって重心が重く、縁に意図があって、最後まで手を抜かない職人技に感動を覚える・・・

しかも高台を見れば、ちゃんと登り窯で焼いた色になっているから、現代の手仕事の健全さを見るかのようだ・・・

どうして食器一つに、これだけ心を動かされるのか・・・

心どころかカネまで動かして、7万円分も食器を買ってしまったが、どれもこれもお気に入りだ・・・

9寸皿を買った時なんぞ、ろくろ作りの陶器なのに、驚くべき薄さに卒倒しそうになった・・・

機械で作られたわけではなく、まして型作りの磁器でもはなく、人間の手で、ろくろを回して作られた陶器で、しかも9寸という大皿だから難しいだろうに、なんという薄さなのか、と驚愕した・・・

はじめて手にした時、自分の持った物が皿だ、と信じられなかった・・・

こんな薄い皿が、ろくろ作りの陶器であっていいのか、と疑った・・・

しかし、どこからどう見ても、皿だ・・・

これは皿だ、と頭では理解しているけれど、手に持った時の薄さが、まるで皿じゃないみたい・・・