木曜・・・
毎日、株をやっているせいか、よく分からない物を買う癖がついた・・・
株は、自分でも分かっていない状態で買うから、日常生活でも、あまり考えず即買いしている事がある・・・
株が上がるかどうかは、その場の雰囲気で判断して、イケるなと思ったら、躊躇することなく寄付から全財産をブチ込む・・・
株の銘柄名と、板と、その時の買い注文の多さだけで判断して、自分の勘で買う・・・
そういう、いい加減な買い方をしているせいか、日常生活でも支障が出る・・・
なんか、よく分からないけど、ネットで画像だけを見て、テキトーにショッピングしてしまうのだ・・・
私は、民藝の器を26点買って、7万円使った・・・
満足したつもりだった・・・
沖縄と九州大分の焼き物を買って、一人暮らしに必要な器は、あまる程ある・・・
もう一生分の食器を買ったからええわ、と手を引くつもりだった・・・
あの器を見るまでは・・・
皿は買ったし、丼鉢は買ったし、もう必要な物なんてないはずだ・・・
だけど、皿と鉢の間にある、サラダボウル的な浅い鉢も、欲しくなってきたのだ・・・
言うまでもない事だが、サラダボウルなんて戦後に出来た器だろう・・・
そもそも皿自体が、地方の民窯では大正時代に出来たものであり、大昔は壺や瓶しか作っていなかった・・・
皿は、伊万里の磁器が日本中を独占しており、地方の民窯で皿が陶器で作られるようになったのは、実は歴史が浅い・・・
ましてサラダボウルぐらいの中途半端な鉢など、作られるようになったのは、ここ数十年のことだろう・・・
皿ができ、皿から立ち上がった形の飯茶碗ができ、それと同時に丼鉢が出た・・・
その飯茶碗と丼鉢の間にある、中途半端な大きさのサラダボウル的な鉢が、いかにも現代的で気に入ってしまった・・・
いかにも伝統的な意匠がほどこされた民藝の焼き物が、今の食卓にふさわしい形として登場するのなら、こんな浅鉢だ、といわんばかりのサラダボウルを見て、私は現代の手仕事の健全さを見るかのような気持ちになったのだ・・・
皿なんて見飽きているし、まして茶椀なんて飯茶碗だけでなく抹茶用まで含めたら50人分ぐらい持っているから、お腹いっぱいだけど、しかしサラダボウルときたら、どうだろう?・・・
丼鉢でもないし、ラーメン鉢でもない、この微妙な浅さのボウルこそ、現代を射抜く器ではないだろうか、と私は考えて、サラダボウルの新しさが胸を打つ・・・