会田誠講座「セクハラ」訴訟に波紋 焦点は「大学側の対応」に?

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190228-00000011-jct-soci

講師はエロ・グロ美少女などを題材に、刺激性のある作品を手掛ける美術家として知られる、会田誠さん。提訴をめぐり、ネット上では「事前に軽くネットで調べればどんな作風なのかも分かるのだから」と疑問視する声や、「大学の対応の問題が大きいと思った」と学校側を追及する声が上がっていた。

女性は昨2018年4月から6月の間、同大の東京キャンパスで社会人向けの公開講座に参加し、3回目のゲスト講師の会田誠さんの講義でショックを受けた。涙を流した少女がレイプされた絵や、全裸の女性が排せつしている絵などをスクリーンに映し出す内容で、会田さんは下ネタ話を続行。女性は、本人のキャラクターや作風を知らなかったという。

 セクハラが成立する余地は、ある。
少女がレイプされたり、女性が犬の恰好をしたりすることは、現実によくあるからだ。
現実によくある性暴力を、わざわざ芸術の世界に持ち込んで、よせばいいのにキレイな絵で美化して描き、それを作品だと主張する人物は、全責任を負うべきだと思う。
自民党の議員が少女をレイプしたり、安倍のお友達がレイプもみ消しを依頼したかもしれない時代だからこそ、少女がレイプされる絵では芸術にならないし、芸術が現実に忠実すぎる。
安倍政権がとっくに常識を転覆して、規範に挑戦して、人間性をドブに捨てて極限へと突き進んでいる時に、芸術が女性をレイプする絵を開陳しても、安倍に勝てるわけないし、ほとんど安倍政権への追認だ。
著名な芸術家だからといって、セクハラ絵画が擁護されてはならないし、著名な芸術家ゆえに「事前に軽くネットで調べればどんな作風なのかも分かる」などと特別扱いして、周囲が忖度してしまうと、安倍のモリカケ事件と変わらなくなる。
「事前に軽くネットで調べればどんな作風なのかも分かる」などと批判する向きもあるようだが、これほど芸術をバカにした話はない。
ネットで調べることは、映画でいうとネタバレみたいなものであって、作品の価値を落とすものでしかない。
何も知らないまま作品に向き合う事が芸術の歓びであり、既に知っている作品であっても新たな発見をするのが芸術であり、わけのわからん前提知識を要求されたり、文脈に縛られたり、余計なウンチクを披露されたりすると、歓びが減ってマズくなるだけだ。
あげく「事前に軽くネットで調べればどんな作風なのかも分かる」などと被害者の落ち度を指摘することはセカンドレイプに等しく、この国が安倍政権のせいで民度が低下して国民の頭が安倍レベルのバカになってしまったことが如実にうかがえる。

しかもエログロな絵は戦前にも流行っており、当時は挿絵作家が品のない絵を手がけていたが、今さらエログロな絵を美術館に展示しても、なんら新しくはないし、安倍政権の戦前回帰に呼応するかのごとく芸術がエログロ化しているのではないかと疑いたくなる。