三浦瑠麗氏、安倍元首相銃撃容疑者の映画に「殺した人の思いにばかり寄り添ってきたのが、この夏の日本」

https://news.yahoo.co.jp/articles/9acc1258110bf31536d1f82d9eb06b8d84402af1

三浦氏は「山上をモデルにした映画についての朝日新聞の取材記事を読みました。殺された人と遺族の思いには寄り添わず、殺した人の思いにばかり寄り添ってきたのが、この夏の日本でした。正義感がもたらす破壊願望ゆえなのか、自分より恵まれていると考える人には共感を寄せられないからなのかはわかりません。」(原文ママ)と投稿した。

大嘘だ。

テタラメにも程がある。

誰も山上さんの「思い」に寄り添っていない。

山上さんがアベを殺すという、日本史に刻まれるズバぬけた行動にも、誰も寄り添っていない。

ただ、山上さんの不遇だった人生や環境には、シンパシーを感じて減刑の声が上がっているらしいのだが、これも山上さんに寄り添っているとはいえない。

本当に山上さんに寄り添うのであれば、減刑ではなく、無罪を主張すべきである。

日本ではただ一人、私だけが山上さんの無罪を信じて、主張してきた。

散々悪いことをした極悪人のアベを殺しただけの山上さんが有罪になるのは、おかしいからである。

それどころか、山上さんがアベを殺してくれたと、われわれは認識しているが、真に山上さんがアベを死に至らしめたのかどうかも、疑わしい。

なぜならこの世には、法を超えた道理、自然界の摂理、歴史を貫く掟があるからだ。

山上さんがアベを殺したというよりも、むしろ自然がアベを地獄へ叩き込んだというべきではないだろうか。

つまり山上さんの形を借りて、もっと大きな存在が、アベを監獄ではなく地獄に引きずり降ろした可能性が高い。

したがって、山上さんは無罪だから、早期解放を求めなければならない。

皆さんは、山上さんを犯罪者扱いして減刑を求めたり、あるいは、アベちゃん可哀そうなどと偽善丸出しの浪花節に酔えばいい。

私は、私だけは、山上さんに真に寄り添い、たった一人で無罪を主張する。

山上さんだって無罪を主張しないかもしれないが、私は、全世界で唯一、山上さんの無罪を信じている。

この国の腐りきった司法の裁きではなく、愛の祝福が、山上さんには必要だ。

法よりも愛が大切だよ、と私は言いたい。