笑った

 

哲学の本領は常に概念を想像するところにある。私は、形而上学の超越とか哲学の死について頭を悩ましたことがありません。哲学には、概念を創造するという、完璧な現在性をそなえた機能があるからです。この点で哲学の代役がつとまる者はいない。むろん、プラトンの「対抗者」からツァラトゥストラの「道化」にいたるまで、いつの時代でも哲学には対抗者がつきものでした。現在では、「概念(コンセプト)」や「創造的(クリエイティヴ)」という言葉を横領した情報科学やコミュニケーションや商業開発が哲学の対抗者となり、例の「企画担当者(コンセプター)」とかいう人たちが、物を売る行為こそ最高の資本主義的思想であると主張し、商品のコギトを表明してはばからない鉄面皮な種族を形成しているのです。そうした強い圧力を前にすると、哲学はわが身の微小さと孤独を感じてしまうわけですが、しかし、たとえ哲学が死ぬことになったとしても、それはまず笑い死にでしょうね。(227頁 1996年改訳新装版 強調引用者)

私も、笑い死にを目指そう・・・

笑い死にした哲学者が、いたはずだ・・・

最高に笑った時に死ねるなんて、ハッピーじゃないか・・・

いままで、ミシマさんのように45歳で自衛隊駐屯地にて割腹自決しようかと思っていた・・・

こんな腐った国で生きていても仕方がないから、最期くらいは、戦後社会の不毛に挑戦すべく割腹自決かなと、計画していた・・・

ただ、岸田みたいなアホが首相じゃ、こっちも死ぬ気になれん・・・

死ぬにも値しない、冗談のような国で、残された手は、笑い死にか・・・