籠池、稲田だけじゃなく小籔千豊も「教育勅語のどこが悪い」 ならば教えよう、教育勅語はここが悪い!

http://lite-ra.com/2017/03/post-2990.html

先の戦争を引き起こしたのも、教育勅語を神聖なものとして子どもたちに叩き込み続けたことが大きく影響している。満州事変が起き、あの泥沼の戦争に突入していくのは、勅語発布の1890年に小学校1年生だった第一世代が40代となり、彼らを親とする第二世代が成人したくらいの時期。この頃には、教育勅語による洗脳教育が完成され、日露戦争の頃にはまだ存在していた反戦の声をあげるような者もほとんどいなくなっていった。
そして、日本は無謀な戦争に突入。教育勅語の神格化はさらにエスカレートし、軍国主義の支柱となって、国家総動員法や特攻隊を正当化する神聖な教典のような存在になっていった。
そういう意味では、教育勅語はまぎれもなく、日本国民とアジアの人々を不幸におとしいれたあの狂気の戦争を生み出した元凶のひとつである。だからこそ、敗戦後、教育勅語GHQから神聖的な取り扱いを禁止されただけでなく、日本の国会も反省に立ってその排除・失効を自ら決議したのだ。

妥当である。
全部、納得できる。
私が思うに、教育勅語は「どこが悪い」と開き直る出発点であって、この教育勅語で食い止めなければ、次は、軍人勅諭の「どこが悪い」と来るだろうし、最後は、戦陣訓までエスカレートする、と見ている。
結果的に自国民だけで300万人も死んだ戦争の、その犯罪証拠文書といっていい教育勅語を、現代人が「どこが悪い」と平気で言える神経が、私には理解できない。
この期に及んで教育勅語を評価する輩こそ、さっさと国のために誰にも迷惑をかけず死ぬべきであって、口先だけで教育勅語を評価するのではなく、是非とも国のために個人的な範囲で死を選んで欲しい、と私は切に願わずにはいられない。
ここまで「どこが悪い」の害悪が広がると、日本の未来は、あと数十年間は暗いだろう。