教育勅語、教材で用いること否定せず 政府が答弁書

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170331-00000060-asahi-pol

政府は31日、戦前・戦中の教育勅語学校教育で使うことについて、「勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切である」としたうえで、「憲法教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との答弁書閣議決定した。民進党初鹿明博衆院議員の質問主意書に答えた。
勅語については、太平洋戦争後の1948年、衆参両院が排除・失効の確認を決議している。
また、稲田朋美防衛相が国会答弁で「親孝行や友達を大切にするとか、そういう(勅語の)核の部分は今も大切なもの」と述べたことの是非について、答弁書は「政治家個人としての見解」とし、政府としての見解を示さなかった。

愚劣である。
過った歴史への深い反省がない。
教育勅語そのものが、憲法教育基本法等に反しているのに、それらに反しない形で、「教材」として用いることは、根本的に不可能である。
「教材」として用いるよりは、むしろ戦争犯罪の決定的な証拠文書として用いることが必要なのに、これほど危険かつ取り扱い注意の教育勅語なる歴史的犯罪文書を、そこらへんの学校のセンセイが「教材」として扱えるはずがない。
そこらへんにいる並みの人間が、教育勅語を扱うと、どうなるか。
直近では、教育勅語への異常な偏愛を隠さない大臣稲田が、教育勅語にある文面を裏切って、かつての思想的な同志をも裏切り、嘘に嘘を塗り重ねて虚偽答弁を重ねたことが、記憶に新しい。
加えて、教育勅語に脳みそをヤラられた大阪の教育者による児童虐待疑惑が騒がれているのに、この期に及んで教育勅語を学校教育の場で用いることなど、断じて許されてはなるまい。
代表的な事例を2つあげただけで、教育勅語の恐ろしさは誰の目にも明らかだ。
大臣稲田が「(勅語の)核の部分は今も大切なもの」などと美化するのは、最低レベルの偽善である。
「親孝行や友達を大切にする」ことは誰もが否定しないが、よりによって教育勅語を持ち出すのは、あまりにも卑劣な偽善だ。
これほど許されざる教育勅語閣議決定してまで学校教育の場に復活させようとするアベ政権を絶対に許してはいけない。