ろ・く・で・も・な・い
れいわ山本氏の街頭演説での「〜〜ロクでもない」というコールに違和感。
— 増原ひろこ 立憲民主党 京都 (@masuhara_hiroko) August 3, 2019
弱者切り捨ての政治家たちに対して文句を言いたい気持ちはとてもよくわかる。主張内容はそのとおりだと思う。
ただ、個人攻撃を扇動して支持を広げるやり方は、政治家という立場上どうなのだろうかと疑問に思う。
偽善だ。
これだから立憲民主は信用できない。
私は、口が裂けても野党を批判したくはなかった。
だが山本太郎氏を誹謗中傷する、立憲民主の落選者は許しがたい。
「竹中平蔵ろくでもない」という山本太郎氏の絶唱は、擁護されなければならない。
なぜなら竹中平蔵が、最初に日本国民を攻撃してきたからだ。
まず、竹中という悪党が新自由主義で日本をメチャクチャにして、日本人を貧乏にした。
あげく郵政民営化というコソ泥政策で郵便局を破壊して、かんぽ生命を地獄へと引きずり込んだ。
したがって竹中平蔵がろくでもないのは、事実である。
事実を指摘したことを、「個人攻撃を扇動」などと解釈し、正当な批判を「文句」などと矮小化する増原。
増原が、どういう「立場」から山本太郎氏を見ているのか、よく分かった。
これだから立憲民主は信用できない。
300万票も失って当然だ。
この程度の事で「個人攻撃を扇動」などとカマトトぶる連中が、これからアベを倒して日本国を正常化させたあげく日米地位協定を改定して対米自立を果たす事など、到底、望みえない。
増原とかいう立憲民主の落選者もトンチンカンだが、もっとおかしいのは、民主党政権時代の残党だ。
いまでも「竹中平蔵ろくでもない」というコールが痛切に響くのは、コイズミ竹中の責任を、民主党政権時代に追及しえなかったのが原因である。
2009年に政権交代した時、あれだけコイズミ竹中構造改革を口では批判していたのだから、当然、竹中に責任をとらせるのかと思いきや、わけのわからん「事業仕分け」でお茶を濁した。
それから数年後、竹中がゾンビのように蘇って、モリカケで復活した。
竹中がモリカケでも登場するのは、2009年の民主党政権が手ぬるかったからだ。
「竹中平蔵ろくでもない」という、腹にしみる魂の咆哮に対して、「個人攻撃を扇動」などと無理解を晒す政治家は、絶対に信用できない。
制度が悪いとか構造が悪いとか、そういう抽象的で分かりにくい話ではなく、竹中平蔵という男をズバリ名指しで、超分かりやすく「個人」を特定して批判しなければ、支持が広がるかどうかはともかく、話が伝わらない。
増原とかいう、いかにも立憲らしい人物を見ていると、かつての民主党政権の不甲斐なさと第二自民党化を思い出して、アベのいうとおり悪夢のように思えてきた。