れいわ新選組の底力を、ポピュリズム批判だけでは見誤る「真の理由」
(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66127)
今回の参院選では「れいわ新選組」や「NHKから国民を守る党」が思わぬ健闘を見せ、世間を驚かせた。
特に「れいわ」の躍進については、ついに日本でも欧米と同様に「左派ポピュリズム」政党が登場したとの議論が起きている。だが、ポピュリズム的な傾向そのものは、多かれ少なかれどの政党にも見い出せる流行のようなものであり、「左派ポピュリズム」という視点のみでは、今起こっている自体の深刻さを正確に言い表すことはできないだろう。
重要なのは、これらの現象の良し悪しを問うことよりも、構造的な必然性に目を向けることである。
これらは、わたしたちの「徹底的に個人化された生活」と「情報環境への過剰接続」が化学反応を起こして生み出した現象だ。万物がフラットなコンテンツとして消費される中で、政治さえも「コンテンツ」のひとつに過ぎなくなった――そのような新しいゲームのルールのもとで、古き良き「政治活動」はかつてない試練にさらされている。
違う。
ぜんぜん分かっていない。
れいわ新選組の底力を、とらえきれていない。
「左派ポピュリズム」だの「構造的な必然性」だの「エンタメ性」だの、それっぽい軽薄なジャーゴンで山本を語ってほしくない。
山本太郎氏の魅力とは、愛である。
山本の演説を聞けば、恵まれざる人々への、愛が溢れている。
生産性ではかられる社会や、消費税という税制を語っても、その根底にあるのは、人間への愛だ。
この国が、とっくの昔に失った人間賛歌を、山本は語っているのである。
政策の形をした愛が、人々をひきつけ、山本をキラキラ輝かせる。
人々を動かすのは、愛だった。
そう、私は気づいた。
すれっからしの私でも、山本の熱い演説動画を見て、涙した。
私のような鬼を泣かせるぐらいだから、山本は大した男だ、と評価してよい。
この男なら、山本なら、必ずアベ政権を倒すと思う。
アベ政権が断末魔の叫びのごとく隣国への憎悪(ヘイト)を煽っても、山本の人間愛には勝てない。
ヘイトは、愛を前にして敗北するだろう。
アベサンの代わりは山本だ。