れいわ新選組の大成功、次の手は

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190822-00010001-socra-pol

一方で、山本氏は他の一般的な新人議員のように「永田町」には染まらなかった。月平均1回ペースで、東京だけでなく全国にも出向いて、定期的な「街頭記者会見」を続けた。
 記者会見だから、ただ演説するだけではない。モニター画面を使って政策を分かりやすく説明した後、質問時間をたっぷり取る街頭だから集まるのは記者だけではない。
 一般の有権者も同じように山本氏に質問を投げかける。批判やヤジも飛ぶ。それがほぼ毎回2時間ほど行われる。そうした厳しい環境に身を置くことで「答える力」を磨き、政策を磨いた。

ちょっと違う。

まだ山本を分かっていない。

「答える力」という軽い言葉で、山本太郎をとらえてはいけない。

なぜなら山本には、愛があるからだ。

山本の政策は、市民への信頼と、人間への愛がある。

消費税廃止や最低賃金の補償は、愛がなければいえない政策だ。

山本の政策が大胆すぎて、実現可能性や、財源の有無を云々する声が聞かれる。

だが山本の政策は、可能性や財源ではなく、愛によって担保されていると見るべきだ。

山本の演説を一度でも聞けば、この男の熱意が嘘ではないと、アホでも分かる。

薄汚い政治家が、憎悪と悪意を振りまく中で、山本だけが、愛のある政治家だ。

そういう政治家が、街頭に出た場合、どういう奇跡が起こるのだろうか。

山本が街頭に出た時、山本に質問をする市民側に、注目しなければいけない。

なぜなら山本に質問を投げかける市民は、皆、酷い目に遭ってきた人たちばかりだからだ。

これほど辛酸をなめてきた人たちがいるのか、と驚かされるような境遇の市民が、山本に質問し、社会への違和を訴えている。

おそらく、山本に質問をする人物は、山本だから質問を投げかけたのだろう。

山本じゃなかったら、こんな酷い目に遭った人たちが、質問を発することすらなかったと思う。

山本には、泥にまみれてきた市民たちから、言葉を引き出す力がある。

そのへんのチャラチャラした野党の政治家には、到底、なしえない存在感が、山本には、ある。

山本という男を、もっと高く評価しなければいけないのに、選挙中から山本を批判する立憲寄りの学者がいて、本当にバカだと思った。

私は、コイズミの時から丸14年、アベを批判してきたが、山本の登場を心から嬉しく思う。

私の14年間は、山本という男を待っていたのだ、と理解した。

次の衆院選で山本がアベを倒して天下を獲る、と私は今から断言しておく。