木曜・・・
父が入院している。
三週間。
悪くなっている。
機械で酸素を送っており、上限の40に達した。
先週まで、30の酸素を送っていたのが、今日は40に達して、そこが上限。
機械で酸素を送るのは、これが限界。
もう一つ、機械で計っているものがある。
ある機械で、先週は95をキープしていたものが、今日は81~83まで落ちていた。
80を切れば、看護婦が病室に来る数字で、こちらも限界に近づいている。
しかし父は、意識がハッキリしていて、喋ることはできる。
喋ると、苦しそうだ。
声は小さくて、以前よりも枯れた声。
呼吸を大きく繰り返し、ずっと胸を上下させないといけないくらい、肺は厳しい状態にある。
寝たままの状態で、目をつむった時間が長かった。
咳をする音だけが大きく、咳の音の大きさで、まだ元気であることが確かめられる。
咳をするだけ元気なのだ、と私は自分を安心させている。
父が咳をすると、機械で計る何かが80を切ってしまい、すぐに看護婦が病室にやってきて、様子を見る。
私は、信じられない気持ちでいる。
私と父が会話している間は、元気そうに見える。
しかし客観的な数字では、良くない方向へ向かっている。
父は、まだ若く、意識がハッキリしていて、仕事の指示を出せるほど。
父が入院してから、私は、新聞に掲載された著名人の訃報を、見るようになった。
ニュースで訃報が報道される度に、その年齢を見て、私は反応する。
年齢を比べてみても、父は若い。
日本人の平均寿命81歳と比べてたら、はるかに若い。
なぜ父が難病なのか、と私は医者に問いたくなる。
今日も、医者に呼ばれたが、いつにも増して恐ろしい内容だった。
医者によると、父は食事もできない状態らしい。
食事をするのも大変で、飲み込む時に、息を止めなければいけない。
薬も喉を通らないから鼻から薬を通す。
モルヒネという薬で楽にさせてあげることを本格的に検討しなければいけない、と医者が言った。
患者は苦しいから楽にさせてあげたらいい、ぼくたちは楽にしてあげるのが仕事や、と医者がヌカす。
私は、反対した。
医者の方針には、断固反対する。
一日でも長く父に生き延びてほしいから、たとえ患者本人が苦しくても、治療は続けて欲しい、と号泣しながら伝えた。
私は、おっさんの医者を前にしても、平気で泣く。
最初は少しずつ泣き始めるのだが、徐々に泣く量を増やして、最後は鼻水をジュクジュクに垂れ流して号泣するほど、私は徹底的に泣き喚く。
医者が勝手に、患者本人の苦しさを代弁する資格は、一切ない。
患者本人の意思を尊重する、と医者は弁解したが、思い上がりも甚だしい。
薬で楽になるという話は、まだ先にしなければいけない。
今は、難病と闘うことを、父に選ばせてやりたい。
闘い続ければ、勝利がやってくるだろう。