水曜・・・

食器を買った・・・

4月から一人暮らしをするから・・・

どうせなら新品の食器を買おうとして、民藝の食器6点を1万7千円で買った・・・

最初は、満足していた・・・

民藝の手仕事の焼き物を見ていると、なにげない美しさに、ハッとさせられる・・・

民藝とは、民衆的工藝の謂である・・・

民衆が日常生活で使う道具のうち、その製作地の材料を使って、現在も職人の手仕事で作られており、かつ美しい物だけを、民藝と呼ぶ・・・

単なる職人技なのではなく、美しさという条件がクリアされて、はじめて民藝品と呼ばれるのだ・・・

しかし現在では機械生産が発展し、かつ海外から輸入までされるから、日常生活で使う道具が、非常に安価で手に入る・・・

昔は、職人の手仕事で作る道具が安価であったはずが、食器6点で1万7千円もしてしもた・・・

高いといえば高いが、私は長年、骨董派の人間のため、焼き物にしては安い、と思った・・・

私ぐらい骨董収集歴が長い人間になれば、民藝の焼き物など、安い物である・・・

ちなみに、骨董と民藝の違いは何かというと、職人の存在である・・・

その手仕事が、職人の後継者が存在しないために途絶えた場合、民藝品は骨董品となる・・・

現在も再現可能な手仕事が民藝と呼ばれるのであって、作り手がおらず、物が無用の長物と化した時、それが骨董の始まりなのだ・・・

だから骨董派の私としては、民藝など見くびっていたのだが、せっかく一人暮らしをするのだから、新品の食器を買おうとして、初めて民藝の器を買った・・・

最初は、満足していた・・・

6点でたったの1万7千円で買った焼き物が、こんなに美しいものなのか、と私ですら民藝派へと転向しそうになった・・・

民藝品は、非常によく出来ているし、職人の勢いのある仕事が無心に感じられて、健康で美しく、好感を覚えるのだが、なにかが足りない・・・

私が長年、やさぐれた骨董趣味を引きずっているせいか、民藝品の健やかさが、軽く感じられるのだ・・・

もっと怪しくて、汚くて、胡散臭い骨董品の方が、私にはお似合いだ・・・

3日間ぐらい、民藝の文献を漁って、私でも理解しようした・・・

民藝品は、頭で理解できても、実際に身銭を切れるかというと、値段相応の物足りなさがある・・・

しかも民藝店は、オバサン臭いから入りたくないし、少女趣味の末路、といった観がある・・・

骨董がジジイ臭いとすれば、民藝はオバサン臭いから、私が身銭を切って民藝品を集める必要はないな、と見切った・・・

薄汚れて、汚れがついた江戸時代の器で、平気でスパゲティを食べる根性が、われわれには求められている・・・

どれだけ汚い焼き物を平気で使えるか、それが骨董派に課せられた試練である・・・