ギブアップ

 

ここでの議論は序論で説明したように、比較的特定の意味で脱構築的なものである。よって、特定の文化テクスト内部で機能し、[そのテクストを]組織化するような二項対立の一つひとつについて議論するに当っては、序論で記述したようなプロセスに従う。すなわち、規範的な項に対して周縁化された項は外部にあるが同時に内部にもあると通例言い表されるような、二項対立それ自体の不安定さを脱構築的に記述することを通って、その[不安定さの]結果である定義の非一貫性の考察へと向かうつもりだ。すなわち非一貫性の機能的可能性と現実化、その権力効果、特定の言説の文脈化でそれが起動させられるための可能性の範囲(アフォーダンス)、そして最終的に、ホモ/ヘテロセクシュアルの定義と関わる新しく重要になった諸問題が、そのような非一貫性に対して持つ、特有のもつれた結びつきの考察へと。(134頁)

『ビリー・バッド』の男たちは、勃起するよりはむしろ自分たちが勃起したペニス自体になる、あるいは互いに相手を勃起したペニス化する傾向にある。(174頁)

わからん。

内容がハードすぎて、ついていけない。

人生で初めてフェミニズムの本を読んだ。

ジェンダーについて知りたかったのだが、本書は「ホモ/ヘテロセクシュアル」という二項対立とか、「ホモフォビック」を論じてあって、面食らった。

174頁まで我慢して読んだけど、内容に興味を覚えず、読了断念。

フェミニズム文芸批評では、「勃起したペニス」と書いてもオーケーなのか。

昭和の頃にあったような、男性文芸批評家が、女流作家の作品に対して、「子宮の中で泳いでいる」とでも評したら、今ではアウトだろう。

フェミニストとして名高い著者だが、私の興味外の世界なので、次の本に行く。